参院選の東京選挙区に参政党から立候補した河西泉緒さん。
この河西泉緒さんは、参政党と銀座のママという2足の草鞋をはいた方。
年収は、1億を超えるという噂です。
今回は、この河西泉緒さんはどんな方なのか。ホームレス時代もあったという河西泉緒さんの経歴と年収について調査しました。
▽この記事で分かること▽
- 河西泉緒の経歴
- 河西泉緒の年収
河西泉緒の経歴
河西泉緒さんは、現在41歳ですが、年齢よりとっても若く見えますね。
#新しいプロフィール画像 pic.twitter.com/v46q3dEmgq
— 河西泉緒 (@miomioamour) July 19, 2022
名前 | 河西泉緒(かわにし みお) |
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年齢 | 41歳 |
出身 | 東京都調布市 |
職業 | 銀座高級クラブオーナー、会社経営者 |
経歴はこちらのYouTubeから抜粋しています。
河西泉緒はお嬢様
河西泉緒さんのおじいさんは、
製麺工場の経営者
でした。この製麺工場は従業員を何千人もかかえる規模の工場だったようです。
経営者でしかも規模が大きいということは、一般的なサラリーマンより年収が高いことが推測されます。
河西泉緒さんは、そんな裕福な家庭で育ちました。
しかし、
両親は、お金に対しては厳しく、自由に使えるお金はなかったそうです。
幼い頃から経営者思考が養われていたんですね。
お菓子名人選手権で準優勝
河西泉緒さんは、4歳の時からお菓子づくりや料理が大好きだったそうです。
料理付きの母親の影響だったそうです。小さい頃からパンとかケーキとかたくさん作ってくれたそうです。
中学生の時に
「TVチャンピオン中高生お菓子名人選手権」で準優勝!優勝者とは1票差!
近所の方が勝手に応募したそうですよ。
その後、
- 中学2年(14歳)からケーキ屋さんで修行(学校公認)
- 5年間勤務
していたそうです。
公立の中学校でしたが、お金のために働くのではないので許可がおりたそうです。
でも8時には帰りなさいと指導されていました。
高校卒業後は専門学校に
高校卒業後は、『職業訓練法人 東京都製菓学園』(※東京都豊島区大塚)に入学。
当時は、ケーキ職人の子供でないと入学できなかったそうです。
しかし、働いていたケーキ屋のご主人が我が子として書類を書いてくれたそうです。
さらに、河西泉緒さんは
専門学校の学費は自分で支払っていたとか!
家庭の裕福さには頼らず、自立して頑張る姿勢はなかなか真似できません。
専門学校卒業後
『職業訓練法人 東京都製菓学園』(※東京都豊島区大塚)卒業後は、
東京都世田谷区の三宿のお店(ボンマルシェ※今は閉店)でパティシエとして勤務。
数年働きましたがかなりの激務で体を壊してやめたそうです。
当時は
- 朝9時~夜9時までの12時間勤務。
- 手取りは16万円切る
- 風呂なしのアパートで1人暮らし
- 家賃は5万ぐらい
- 食事もままならず体を壊す。
- 売れ残ったケーキをご飯がわり食べていたこともあった
かなりハードでしたよね。
それで、お金も睡眠も最低限の人間の生活も大事だと思い、22歳でパティシエをやめることを決意しました。
パティシエ→精進料理
パティシェエやめたあとは、なんと精進料理の道に。
なぜ精進料理なのかというと
尊敬していたおじいさんのお墓参まいりをした際に
「料理しかできないけど、こういう生活もやだし、世界に通用する仕事ができないか?つまんないよ」
と問いかけたら
「精進料理をやりなさい」
と聞こえたような感じがしたそうです。
帰宅後精進料理について調べた河西泉緒さん。
22歳でお寺での精進料理の修行をするために、一番最初に精進料理が栄えた
黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」にお願いに。
そして単身京都に。
400年の歴史の中で初の女性の弟子入りを果たし、一年間修行し、すぐに京都の料亭で更に1年ぐらい料理を学びました。
その後東京に戻っています。
修行も終え、萬福寺のライセンスの使用を許可された料理人になったものの、河西泉緒さんは店舗を構えて仕事をするだけではつまらないと常々考えていたそうです。
萬福寺での修行の前にはホームレス時代も
河西さんは、このお寺で修行する前の1週間ほど鎌倉の駅でホームレスみたいなことをしています。
当時は何をするにも怖がりで
お金がなくなったらどうなるんだろうという恐怖があったそうです。
なので、
1回お金を捨てちゃえ!
と妹とかに全部あげたそうです。家も全部解約して、
鎌倉の駅でホームレスのような生活。
そこで夜回り先生みたいなのがきてニュースになってしまったそうです。
このホームレス経験で、怖さがなくなったそうです。
かなりの覚悟をもって京都にいかれたのですね
料理の世界→銀座のオーナママに転身
東京に戻ってからは、
化粧品や海外ブランドの総代理店を経営をはじめ、さまざまな経験を重ねて
30歳の時に銀座のホステスとしてデビュー!
その4年半後に無借金、スポンサーなしで自分の店をオープンするに至ったそうです。
この成功の裏には
“当たり前のことを日々淡々と行う“ことでファンを増やしていったそうです。
- 同伴の際はあまり高くないお店を予約
- 前の日に遅くまで飲んでいたとしても、朝の9時までにはお礼連絡をする
- 読書を通して人と親密になる方法を勉強する
こんな風にしていたそうです。
年収は1億2500万円!
河西泉緒さんは、以前『マツコ会議』や『月曜から夜更かし』にも出演。
2017年のテレビに出演時に年収は1億2500万円だと放送されていました。
そして
売上高は2億5000万円以上
クラブの他にもジュエリー会社や投資会社を経営していて
経営者として月商7500万円を達成
されたこともあったそうです。
河西さん曰く、ホステスは容姿だけではないとのこと。
常日頃の行いが実績へと結びついたんですね。
まとめ
今回は、河西泉緒さんの経歴を中心にご紹介してきました。
幼少期から培われてきた考え方や努力が今に繋がっている河西泉緒さん。
このパワフルな行動力はなかなか真似できることではありませんね。